野球のプロアマ交流戦で巨人の2軍が早稲田大学に6-9で敗れ、阿部慎之助2軍監督は試合後、選手に「罰走」を科した。というニュースを目にしました。
そのことについてTwitterでこのようにツイートしました。
巨人2軍がプロアマ交流戦で早大に6―9で敗れた。
1本勝負では時の運もあるけれど、
勉強しながら練習している大学生でも野球を生業にしている選手たちに勝てる。日頃の意識の違いが、必ず本番のパフォーマンスに表れる。
— 内田公人/テニスメンタルコーチ (@P11273282) March 23, 2020
忙しさを理由に成果が得られないとうのは言い訳にすぎません。限られた時間の中でも意識を高く持ち練習に励めば、プロにも対抗できる。そのことを証明する結果になりました。
ただ、今回の記事で取り上げたいのはプロが学生に負けたことではなく「罰走」についてです。
阿部2軍監督やコーチ陣が「罰走」と実際に使ったのか、メディアが使ったのか定かではありませんが、この「罰走」という言葉は私にとって少し違和感があります。
試合で負けた後に走る行為は悪い事ではありません。故障につながらない負荷で行うなら良いトレーニングになります。
ただ、それを「罰走を科す」という表現の仕方が選手にとって良い影響をもたらすか?というお話です。
「罰走」というと悪い事をしたことを正すために科すものだと思います。そういった意味では、巨人2軍選手の意識の低さに対する「罰走」なのだから妥当だと思う方もいらっしゃるかもしれません。それも一つの考え方ではあります。
早稲田大学に負けて「罰走」を科した最終的な目的は、巨人2軍選手の意識の低さを改めて「次の試合で質の高いパフォーマンスを発揮すること」にあるはずです。
だとすれば、わざわざ選手にマイナスのイメージを持たせる必要はありません。やるべきことは、できるだけ早く切り替えて次の試合に照準を合わせてポジティブに準備することです。
巨人2軍選手は試合に負けてマイナスのイメージが心に強くある状態で、さらにイメージを下げるような「罰」を科すことは切り替えにつながりにくい行為。罰走が終わったら切り替えられるかもしれませんが、罰走の間は過去の負けを引きずりながら走るわけです。全く切り替えられていない状態です。走るというトレーニングの質が高いとは言えません。
そこで「罰走」ではなく「次の試合に向けた1歩目」と捉えてみるとどうでしょうか。
選手としては負けて落ち込んでいる心の状態から切り替えて、次に向けた前向きなトレーニングになるはずです。
コーチがやるべきことはマイナスな気持ちを持っている選手をプラスの気持ちにもっていって次に進ませることです。
選手は試合に負けたことですでに対価を払っています。反省点をしっかり話し合ってそこで終わり。負けた後にさらに気持ちを落とす「罰」を与えるのではなく、切り替えて次に目を向けて再始動させる言葉がけをする方が選手のためになるのではないでしょうか。